平成20年夏号(vol.10)
みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成20年ボランティア活動状況

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。なお、この活動につきましては東北建設協会の「みちのく国づくり支援事業」に採択され、傷害保険の支援を頂いております。

ボランティア風景 ボランティア風景

仙山線シリーズ - 熊ヶ根駅

「仙山線」シリーズ今回は「熊ヶ根駅」についてご紹介いたします。

熊ヶ根駅は昭和6年8月開業で駅の住所は仙台市青葉区熊ヶ根です。駅の位置は仙台駅から10番目で、陸前白沢と同様観光地等何もない所です。駅と平行して国道48号線が走り水田を隔てて仙台市立広陵中学校が見えます。駅の南東にある熊ヶ根橋(道路橋と鉄道橋)は高い河岸段丘をまたぎ川面からの高さが50mあり眺めはすばらしいです。

熊ヶ根駅の利用客は1960年代は1日平均約400名台で推移したが、1970年代から減少し2004年度には117名となった。

以下は私の思いでも兼ねて紹介します。

熊ヶ根駅は私にとって大事な存在である。小学生の夏休みラジオ体操の後、駅掃除をした。高校の3年間通学で使用した。平成14年から17年の仙台河川国道事務所勤務時も熊ヶ根駅を使用して通勤をしていた。

熊ヶ根駅は快速も停まらず鈍行である為、1本乗り遅れたら、最低1時間以上待たないといけない。仙台―愛子間に住んでいる方が羨ましいと何度も思った。

学生時代に時間に遅れない行動を身につけたのも、熊ヶ根駅のおかげだと思う。仙山線はしょっちゅう遅れるので、電車には裏切られていたけど。

熊ヶ根駅は無人駅の為、Suicaカードも作れないとの事。取り残された駅の感は今もある。

では、今後熊ヶ根は愛子や落合の様に発展(人口増加も含めて)するのかと言えば、市街化調整区域であるし私が生きている間、期待は出来ない。人口も減り続けている。

ダイヤ改正の度に、熊ヶ根駅は不便になっている感じがする。通勤通学の時間帯とあと数本停まればいいんでないの、ってJRは考えているのかな?これも、儲からない所は切り捨てるという、今の流れなのかもしれない。

現在の熊ヶ根駅 駅にトイレも無い。改札が無いので自由に出入りできる。電車到着時は車掌が切符・定期の拝見をします。

時刻表 通勤通学時間以外はほとんど停まりません。

(記 渡辺 秀人)

鬼子母神祭

鬼子母神祭の寄稿について

宮城総合支所に隣接する図書館に、「鬼子母神祭」の記録を求めて2回通ったが、詳しい記録は求められなかったので、昨年、落合市民センターで講話を頂いた栗生三丁目にお住まいの澤口隆雄氏(元学校の校長先生)に相談したところ、快く話を聞いて頂き2ページにわたる「鬼子母神祭」の寄稿を頂戴したものであります。

鬼子母神祭

□ 祭りは夜にひっそりと

仙台市青葉区栗生五丁目に鬼子母神堂があります。ここの祭りは、旧暦の八月十五日の夜に、少数の限られた家だけでひっそりと行われます。

この日には祭りを行う家では他人を泊めません。昔は入籍前の嫁や婿は前日に出家に帰したそうです。

祭りの日の夕方になると戸締まりを早くし、大声での話しをつつしんで静かに時の過ぎるのを待ちます。月が昇る頃着物に袴姿の戸主が、供え物を載せた高脚のお膳を持ち、廊下からそっと外に出ます。お膳にはお頭つきの生魚、初穂を入れたお赤飯、お神酒などの供え物に、すすきの茎で作った12膳の箸を添えます。戸主が家を出ると家族は全員無言で戸主の帰りを待ちます。

□ 人目を避けてのお参り

戸主はお堂までの途中他人に会わないようにします。昔は家も少なくお堂は杉木立ちで囲まれ、周りは田畑であったため、人影が見えると作物の陰などに身を隠して、人が通り過ぎるのを待ったそうです。現在はお堂の周りにも多くの家が建ち、人通りも多いので自家用車でお堂の近くまで行き、人通りが絶えた時を見てお参りをしています。戸主は堂内に入ると、訶梨帝母(かりていも)木像の前にお膳を供えローソクを一本ともします。供え物の赤飯や煮物を分け供えて拝み、残りの供え物は持ち帰ります。帰りも人目を避け、戸主が帰宅すると家族は話すことができます。

これが鬼子母神の祭りで、一般的な祭りのように大勢の人々が集まって賑やかに楽しくやるものとは全く違うものです。

□ 250年以上も続く行事?

奇祭ともいわれているこの行事はいつ頃から始まったのでしょうか。「安永風土紀書上」(安永3年:1774年)には、「但 盗人神ト茂申来候事 誰勧請ト申儀並年月共ニ相知不申候事 右夜中近所之御百姓九人家内共ニ無言ニ而祭リ来申候 参詣之節モ出合不申様 互ニ身ヲ隠シ往来仕候事」とあります。

いつ、誰が勧請(神仏の来臨をこうこと)したか分からないとのことです。今から230年余も前の書上で、いつ頃始まったか分らないということですから、少なくとも250年以上も前から続けられていることになります。

時代の変化とともに変わってきたところもあるようですが、人目を避けてお参りすることや供え物などは今も変わらないようです。

□ 隠れキリシタンの行事か?

鬼子母神祭は隠れキリシタンの行事ではないかとの見方があります。それは、

  1. 堂内にある訶梨帝母木像は、左に赤ん坊を抱いているのでキリストを抱くマリア像に見立てることができる。
  2. 祭り日の8月15日はローマのキリスト教の聖日(マリア被昇天の日)である。
  3. 夜に人目を避けてお参りする。
  4. 供えの12膳の箸はキリスト12使徒に捧げるのではないか。
  5. 供え物が浦上の隠れキリシタンの酒食(初穂・お神酒・生臭・吸い物・ご飯)の行事に共通するものがある。

ということからです。地域全体の祭りではなく限られた一部の家だけの祭りであることも、信者だけの行事と見られるのかもしれません。

□ 栗生は隠れキリシタンの里であったのか?

では、栗生は昔は隠れキリシタンの里であったのでしょうか。その記録も確証もありません。鬼子母神堂を続けている人々も、先祖が隠れキリシタンであり、鬼子母神祭がその行事であるという認識はもっていないようです。

しかし、鬼子母神堂の近くにある薬師堂(伊達政宗の長女五郎八(いろは))姫が栗生に住まわれた頃、住民のために建立された)の中に「ロウソク食い」と呼ばれている木像がありますが、この木像の顔は洋風で、下唇(下顎)に十字架が彫られています。この十字架をローソクのろうを垂らして隠したので「ローソク食い」と呼ばれたと伝えられています。

キリシタンであったともいわれる五郎八姫が栗生に住まわれたこと、人目を避けてお参りをする鬼子母神祭、十字架が彫られている「ロウソク食い」など、隠れキリシタンの里であったかどうかの謎は残ります。

□ 鬼子母神祭はこれからも続く

江戸時代から平成の時代まで続いているこの行事は、安永の頃は9軒の家だけの祭りでしたが、9軒からの分家の中でも行うようになり、現在12軒の家で続けられています。祭りを行っている家では、先祖が永い間大事に守り続けてきた祭りであるため、時代に合わない行事であっても、ここでやめることはできないといっています。

栗生の鬼子母神祭は時代が変わっても、これからも静かに末永く続けられていくことでしょう。

宇那禰神社

〈故郷の神社・寺院の紹介〉

宇那禰神社

宇那禰神社を私が書きます、とは言ったものの何をどう書けばいいのか具体的な記事が頭に浮かばないので、まずは現地を見なければと言うことで、先日歩いてみました。この取材で得たことを基にして記事を纏めてみました。

宇那禰神社は、2箇所にあり、一つ目は、郷六宮地内にあります。落合の方からくると国道48号折立交差点を右折し、宮城○菱販売折立店の所を左折し道なりに行き、某眼科を過ぎた当たりを右折し細い道路を50m位行くと、正面に古い石段があり30段ほど登ると鬱蒼とした杉木立の中に覆屋に覆われて鎮座してました。当神社は、郷六氏の氏神として建立された神社のようで祭神は桓武天皇となっています。「安永風土記―芋沢村御用書出」には、「永禄年中(一五五八〜一五六九)まで当地にあったが・・・・」と記され、慶長十四年(1609年)に郷六氏の分家が芋沢に移り住んだ時遷座したので同名の神社が芋沢にもあります。

二つ目は、国道457号線を落合の方から北上し、西仙台CC入口を過ぎ右カーブし上り坂になるところを左折し、大沢小学校脇を通り芋沢明神のY字路を右の方に100m程行ったところに宇那禰神社の正門があります。正門鳥居をくぐって行くと、神社山門があり、それをくぐると左側に釣り鐘が有り、その奥に本殿が配置されてます。

現在の本殿(仙台市指定有形文化財、昭62.11.1指定)は一間社流造、こけら葺きで三方に勾欄付の縁をまわし、前面は向拝と浜床がつく。正面に厚い板戸を開き奥に小さい厨子があって、覆屋により保護されている。建築時期は装飾の様式から見て、江戸時代初期から中期にかけてとみられる。(仙台市教育委員会説明板より)

宇那禰神社には6枚の棟札が残され、内5枚が仙台市指定有形文化財に指定されています。棟札の年号は福徳元年(1490)、天文5年(1536)、永禄5年(1562)、天保2年(1645)、元禄5年(1692)、享保15年(1730)で、創建年は不明ですが「安永風土記―芋沢村御用書出」や「宮城県神社明細帳」には僅かに記録もあります。これらから推察すると、福徳元年(延徳二年)(1490)以前からあった古社で当時周辺を支配していた国分氏の家臣である郷六氏の崇敬社だったと考えられます。


境内には、樹齢300年〜370年の大木が数多くありますが、釣鐘堂の脇には芋沢明神の杉(樹齢は370年以上と推定され、地上1.5mで幹周り4.40m、樹高約24mの大樹である。)や本殿脇にはご神木とされる樹齢約300年のスギとヒノキ、本殿真裏には、一箇所から3本の木が成長していて子授かりの木(2本のスギをケヤキの根が抱きかかえるようにしています)として霊験あらたかな木があります。真ん中と右がスギの木で、左がけやきだそうです。ここで子授かりの願をかけたご夫婦が数ヶ月後子供が出来たと言って、何人もの人がお礼参りにきたと宮司の奥様がはなしていました。これと同じ木が四国の石手寺にもありますよと話してました。


庚申神供養の碑

当神社の庚申神供養の碑には、見ざる、言わざる、聞かざるの3猿と2鶏が彫られています。『庚申の日の夜に「サンシの虫」がやってくると信じられていました。この虫は人の口の中に住み、寝静まると動き出します。すると天に昇り、人々の悪事を天の神様に告げ口をします。そのために人々は、寝ずに一夜を明かさなければなりません。サンシの虫が神様に告げ口をしないように「見ざる、言わざる、聞かざる」ようにと「庚申神供養の碑」に彫られています。その両脇には鶏がいます。』

この庚申神供養の碑で2羽の鶏が彫られているのは、非常に珍しく全国でもここともう1箇所だけだそうです。

先日の日曜日に取材のため訪れた伊那禰神社の境内で写真を撮っていたら、神社宮司の奥様が境内各所でお祈りしているところに出会い、取材の目的を話したところ境内を案内して頂き、いろんな話を伺うことが出来ました。また、パンフレットは作ってませんが、ホームページを掲載していますと言うことだったので、それを利用させてもらうことをお願いしたところ快く承諾して頂きました。ここに御礼申し上げます。

(記 及川 公一郎)

トピックス

“おばんでござりすて、ござりましたぁ〜”

(記 盟 首 一 酔)

 

仙台弁、愛子弁です。皆さんも声を出して喋ってみて下さい。響きよし、少し高貴になった気がしませんか?

子供のころ、近くのおばあさんが何時も使っていました。短くは“おばんでござりしたぁ〜”また、『んだ、んだな、んだべちゃ〜、んだのしゃ〜、んでねぇ〜』肯定から否定まで「ん」表現でき便利な言葉です。

“おいたみかける”・・・「一緒に酒を飲んで相手に支払わせた場合」等に使う。

  • 「まがってみる」・・・「のぞいてみる」
  • 「まつっぽい」・・・「まぶしい」
  • 「ゆるくない」・・・「楽でない」
  • 「がおる」・・・「弱る」
  • 「じんけない」・・・「やりがいがない」

以上、懐かしい言葉です。

「おがりこじける」・・・「今年の大根は雨が降らないのでおがりこじけですまった。」などに使う。

「おがだに、少し休んでいたらば、たれかものと、ごしゃがれたので、ごしゃぱらけだので一杯呑んでだのしゃ」

訳「女房になまけものと怒られたので、腹が立って一杯呑んでいる。」

以上「おみょうにち」「また明日」

参考資料・・・「仙台あのころこのころ八十八年」三原良吉監修

観桜会幹事より(報告)

恒例のみやぎ会観桜会が、去る4月19日( 土 )に、いつもの所で、17名の参加のもと行われました。

会員皆さんの予定と重なったようで、例年より少ない集まりでしたが、そのせいか密度が濃く、より和やかに懇親いたしました。

来年は少々趣向を変えたらどうか、という話しもちらほら出ていますので、斟酌してまいりたいと思っています。

原稿募集のお知らせ

編集委員会では、会員の皆様からの原稿を募集しています。

おもしろい話、地域の出来事等、何でも結構ですのでどしどし、お寄せ下さい。まってまーーーす。

編集委員会からのお知らせ・・・平成20年春号でお知らせしておりました「旧宮城町-私の住んでいる町「上愛子地区」」の仙台市天文台の規模・諸元については、諸般の事情により平成20年秋号に掲載いたします。

【問い合わせ先】

担当:及川 公一郎