平成21年春号(vol.13) 

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成21年ボランティア活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

  • 平成21年 4月 25日(土)
  • 平成21年 5月 23日(土)
  • 平成21年 6月 27日(土)
  • 平成21年 7月 25日(土)
  • 平成21年 8月 未定
  • 平成21年 9月 26日(土)
ボランティア風景 ボランティア風景

旧宮城町-私の住んでる町「熊ヶ根地区」

青葉区熊ヶ根地区は、仙台市中心部から国道48号を山形方向に走り約20kmの広瀬川に架かる熊ヶ根橋あたりから先、広瀬川と青下川に囲まれた地区です。関山街道(羽州街道などの呼び名もある)の宿場町があったところで、現在も旧街道沿いに中心集落が形成されています。

熊ヶ根橋は、国道48号が広瀬川を渡架する深さ約50メートルの峡谷に昭和29年に架設された長さ138メートル幅6メートルの橋です。車両の大型化や交通量の増大に伴い隘路となっていたほか、建設後50年を経て老朽化も進んできたことから平成13年に大規模な改修に着手し、5年の歳月を経て土木遺産的価値のある景観を維持しながら近代的な橋によみがえりました。改修にかかわった多くの関係者に敬意を表したいと思います。今後さらに100年は立派に活躍してくれるのではないでしょうか。

国道の熊ヶ根橋と並行し仙山線熊ヶ根鉄橋があります。昭和6年に架設された長さ134メートルの橋で、約80年を経て今なお立派に機能しているのはみごとである。この二つの老橋を見ていると昔の人の英知がしのばれます。

熊ヶ根橋を渡って右折しすぐの交差点右角に曹洞宗興禅寺があります。隣接して国分氏の家臣六丁目氏によって築かれたと言われる熊ヶ根城址があります。現在も土塁が残されているので往時をしのぶことができます。

興禅寺から北西方向にまっすぐ延びる道路が旧宿場町であり、現在も熊ヶ根地区の中心集落である。

旧宿場町に入って300メートルほどの所に熊ヶ根の地名の由来となったといわれる熊野神社があります。

さらに少し進むと夜まわり100周年記念碑があります。明治時代に起きた火災後に始められた夜まわりの100周年を記念して建てられたものである。

記念碑が建っているところの細い道を右に進んだ赤沢山の中腹に、江戸時代以前の建立で熊ヶ根村(当時)の鎮守であった塩流神社があります。現在の社は近年になって再建されたものである。

熊ヶ根駅から国道48号を約1km進んだ右奥の民家の敷地に、仙台市の保存樹木に指定されている樹齢500年のかやの大木があります。目通り4.1m高さ15mの存在感ある老大木である。さらに200mほど作並方向に進むと右側に旧街道があり、和光院不動尊堂が静かにたたずんでいます。

そしてすぐ先の狭く急な山道を上っていくと、こんな山の中にと思うところに、その昔関所があったと伝えられている関所神社が鎮座しています。

もどって、興禅寺から定義如来方向に進み右に大きくカーブすると青下川に架かる青下橋があります。このあたりの道路改築工事の際に、縄文時代草創期の石器貯蔵庫跡が発掘され、野川遺跡といわれています。遺跡を記念するモニュメントが青下橋の親柱となっています。

青下橋の方に曲がらずまっすぐ北に進むと、間もなく右側に水道記念館があります。この上流が青下水源地で、仙台市水道の第一次拡張事業として昭和6年に着手し昭和9年に完成した3つのダム群などから成ります。70年を過ぎて今なお立派にその機能を発揮しているダム群を見ていると、土木構造物のすばらしさに胸を打たれます。自然豊かでしかもきれいに整備されていて、ここにいるだけで心地よさを感じられる地区です。水道記念館で水道の仕組みや歴史などを学ぶことができるほか、散策路や広場なども整備されているので老若男女を問わず、春から秋まで楽しめるエリアだと思います。(12月1日〜3月31日は休館)

この記事を書くに当って熊ヶ根地区を踏査し、魅力あふれる地区であること認識しました。この地区に訪れてみたいという方は、仙台市宮城西市民センターに「熊ヶ根ぶらり歩き・探訪マップ」があるのでそれを入手することをお勧めます。

(記:森山 清治)  

仙山線シリーズ - 「奥新川」「八ッ森(仮乗車場)」

「仙山線」シリーズ今回は「奥新川」「八ッ森(仮乗車場)」についてご紹介いたします。

駅シリーズ最終章として奥新川駅です。奥‥といえば奥多摩、奥日光、奥松島と名だたる観光地が有ると思われます。当駅の奥は本当の秘境の「奥」です。位置は仙台駅から33km山形駅から29kmと仙山線の丁度中間に位置し、仙山トンネル(面白山トンネル)の仙台側入り口に有ります。駅名の由来は新川川の奥に沼があり、或る時、沼が決壊して小川が新しい川と成ったことに事に由来するそうです。駅開設時は駅周辺戸数63戸 人口300人(内鉄道宿舎53戸 人口約250人はその職員家族)と記されています。要するに鉄道関係者の住宅で駅が成立っていたと言う事であります。現在 平成20年4月の市民台帳では世帯数5戸 人口12名となっています。 駅の開業は古く昭和12年11月名取郡秋保村新川に駅が設置され、その後昭和30年4月1日付けで秋保村より新川の部落が広瀬村へ編入されたと記されております。周辺の歴史を見ると大正時代、秋保鉱山(新川鉱山)があり鉱石を採掘し牛車で仙台まで運搬していたそうで、当時は戸数200戸、人口約600人で小学校や病院もあり飲食店等もあって鉱山の町として賑わっていた。

その後 仙山線の工事が進められ 工事作業員が千数百人が働き、工事部落として繁栄したが鉄道開通に伴い人口も少なくなり森閑とした自然の山となった。その鉄道の開通に伴って仙台営林署では森林資源開発の為 生産事業所を設け以降23年間木材の伐採や製炭を行っていたが、昭和34年に閉鎖している。その後大自然の山岳と渓谷の観光関連の旅客の誘致を図って新川ライン、奥新川ラインの遊歩道等が造られて春のシーズンには山菜取りハイキング、秋には紅葉狩り、芋煮会で駅の利用者が多くなっている。又、八ツ森駅は八ツ森スキー場として昭和10年に個人によって開発され、仮乗車場の施設が造られた。昭和50年頃までは活況を帯びていたが近年は雪が少なくシーズンが短くなりスキー場も廃止となり八ツ森駅への停車は無くなっている。また、近年奥新川駅までは国道48号からのアクセス道路(国道から約5kmの砂利道)も有るが、シーズン以外は静まり返った秘境のおもむきがある。

参考資料 宮城町史  

(記:高橋 成美)  

青下貯水池

青下貯水池

2月末の土曜日、この季節にはまれな暖かさに誘われて青下貯水池の取材に出かけてみました。国道48号線を作並方面に向かい熊ヶ根橋を渡った交差点を右折し、約700m進んだところの大手門入口バス停の所を左折して、400mくらい行ったところに仙台市水道記念館がありました。

当日は、12月1日〜3月31日までの冬期休館日で中に入ることは出来ませんでしたが、館内には水道の仕組みや歴史、水と生活の関わりなどをわかりやすく展示しています。また、周辺にはベンチや東屋などが配置された自然散策路が整備されていました。


ハイキングコース入口には工事中の標識が設置され、3月末までダムの補修工事が施工中で立ち入り禁止の表示がされていましたが、勘弁してもらいハイキングコースを右の方に行くと青下第1ダム右岸側に行く取付道路脇の平場の所に青下ダム記念碑が設置されてありました。大きさは、幅14.4m、奥行6.9m、高さ2.6mで地元産の石材が用いられ、正面には山羊やぎ頭の噴水口が設置されていました。なおも取付道路を下がっていくと青下第1ダムが見えてきました。補修工事作業区域のためこれ以上中に入れず、右岸ダムサイトから撮影したものです。堤体に作業用足場が組まれています。

青下第1ダムは3つのダムの内最下流に位置するダムで昭和9年に完成した玉石コンクリート造玉石張り越流式重力ダムで歴史が感じられました。主要寸法は主堰堤堤高13.4m、堤長41.8m、副堰堤堤高2.4m、堤長25.7m、管理橋長さ43.6m

管理橋を渡ってしばらく行くと水分神社がありますが、今回は工事中による通行止めで行けませんでした。

取付道路を戻り、林の中の散策路を青下川の上流の方に300m程行くと、青下第2ダムがありました。

青下第2ダムは3ダムの中程にあり、玉石コンクリート造玉石貼の越流式重力ダムで主要寸法は主堰堤堤高14.4m、堤長39.2m、副堰堤堤高2.4m、堤長23.6m、管理橋(右岸側のみ)長さ23.6m、幅員1.5m、第1ダムとの満水位差は10mあるとのことです。

青下第3ダムは、第2ダムの上流約900mと距離があるので車で移動しましたが、道路には案内板がないので、入口がなかなか見つけられませんでした。車を降りてうろうろしてましたが、大手門公民分館の向かいに民家に入っていく道があったので青下第3ダムの場所を聞こうと入っていき、民家の庭先でいすに腰掛けひなたぼっこをしていた住人に確認したところ、「この奥にあるよ」というので、了解をもらい入っていきやっと青下第3ダムに着きました。

青下第3ダムは、3ダムの最上流にあり、玉石コンクリート造玉石貼の越流式重力ダムで主要寸法は主堰堤堤高15.2m、堤長60.4m、副堰堤堤高2.4m、堤長27.7m、管理橋長さ(右岸側のみ)15.5m、幅員1.2mと3ダムのうちでは堤体が一番大きなダムでした。第2ダムとの満水位差は18mあるとのことです。

満々と貯水した水が堤長部から越流し、コンクリート表面に貼られた玉石とぶつかり減速されて落ちていくさまは、穏やかな感じを受けました。

ダムサイトの杉林の中に下流におりていく階段があり、杉の落ち葉で埋まっていましたが注意しながら降りていって撮った写真が右の写真です。水流がレースのカーテンみたいで、まわりの景色にとけ込んで見えました。

青下第3ダムに移動する途中で、道ばたでペットボトルに水をくんでいる人を見かけたので、帰り道その場所に寄ってみました。

擁壁の所に石に彫られた「観音清水」の銘板が埋め込まれていました。

パイプを通してチョロチョロ流れ出る水を手ですくい飲んでみると、柔らかな味のする美味しい水でした。

仙台市の水瓶は名取川・広瀬川の自流水の他、釜房ダム、大倉ダム、七ヶ宿ダム(白石川)、七北田ダム(七北田川)、青下水源地(青下第一・第二・第三ダム。青下川)、宮床ダム(宮床川)の六ダムを水源としています。水源別に見た比率では青下水源地は1.7%と言うことですが、 75年前に造られた施設がいまだ現役で使命を果たし、文化庁に有形文化財として登録されているのはすばらしい事だと思いました。

事前調査不足で取材当日は判らなかったのですが、青下第一ダム右岸に建てられた文化庁の登録有形文化財に指定されている旧管理事務所の設計は私の出身校(仙台工業高校)の大先輩である建築家、菊池孝太郎氏の手によるものだそうです。

また、青下第3ダムの上流にはこれも文化庁の登録有形文化財に指定されている「青下累水堰」というのがあるそうです。

この記事がHPに掲載されるころには冬期閉鎖していた水道記念館も開館しますので見学がてら、青下貯水池のハイキングコースを木々の芽吹きを感じながら自然散策などいかがでしょうか。 皆様もぜひ一度おいで下さい。

ただし水源地散策の際、各ダム周辺は立ち入り禁止等の行動規制がありますので、充分お気をつけて下さい。

参考資料: 仙台市水道局HP 仙台市水道記念館 青下貯水池
BIGLOBE百科事典 釜房ダム

(記:及川 公一郎)

会員の広場「ワルシャワ旅行記」

今回から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

「ワルシャワ旅行記」

退職後は如何に過ごすかが誰にも課せられた課題です。私は認知性にならないため毎日ラジオで外国語を聴き、指を動かすことが脳を刺激すると信じてギターアンサンブルクラブに加入し、大声を出すことで内蔵を強化すると思って「謡」を続けています。

今回は、外国の友人に会いに行った話をします。35年前から毎日ウイクリーを購読していますが、その中にペンパル紹介欄がありました。外国では日本に興味を持っている人がたくさんいます。中でも女性をターゲットに探したらポーランドの女子学生の名を見つけました。早速手紙を出したところ返事が来ました。依頼15年文通が続いています。

(古い話で恐縮ですが)丁度10年前、退職後初めての外国旅行として妻と一緒にポーランド・チェッコツアーに参加しました。勿論彼女に会うためです。当時彼女はワルシャワ近郊の米国系の会社に勤めていましたので快く案内を引き受けてくれました。日程の打合せは電話やFAXを流して決めました。

8時頃、ワルシャワに着きました。早速ホテルから電話して明日迎えにきてくださるようにお願いしました。次の日9時過ぎに彼女とご両親がホテルに訪ねてきました。遠い東洋の果てからの来客をもてなすためにご両親がポズナンからわざわざ前日ワルシャワにやってきたのです。ご両親は英語が分からないし、私の妻も同様ですが、娘さんと私の通訳で何とか意思の疎通はできました。最初ウィラナウ博物館に行きました。ポーランド王の夏宮殿だったそうです。外観はバロック様式で赤坂の迎賓館に似ています。内部には王族の肖像画が飾られ、アンティックな調度品が置かれていました。

中国製の家具もたくさんありました。部屋の監視員のおばさんの一人が我々を日本人と知ってか英語で話しかけ、親切にもその部屋の展示物を細かく説明してくれました。

日曜日のせいかウィラナウ公園にはたくさんの人が散策していましたが、中には若いカップルがキスしている光景を至る所で見られました。なるべく避けて通りました。休憩所でアイスクリームを注文したところメロンを半切りにして種を取り、中にアイスクリームをいっぱい盛り上げたものが出てきました。とても全部は食べきれません。その後、ショパンの生誕地ゼラゾワ・ヴォーラを訪ねました。そこでポーランドの新進気鋭のピアニストによる生演奏を聴くことができました。辺りは公園になっていて、教会帰りの晴れ着でおめかしした少年少女が散歩しているのに出会いましたが本当に可愛いと思いました。夕方お父さんのご招待でショパンホテルでデナーを頂きました。

メインデッシュは白身魚と野菜とお米の炒め物でワインによくあい美味しかったです。帰りに彼女の下宿に立ち寄りお母さんの手作りケーキとコーヒーで、しばし談笑してからホテルに戻りました。

友人とそのご両親の心にしみるおもてなしと、数々の楽しい思い出を作ってくださったことに感謝しつつ、次の日から古都クラコフ、アウシュヴィツ収容所、ヴェイエリチカ岩塩抗を見学しチェッコへ出国、ブルノ、フルボカ、カルロルバリ、プラハを訪れ帰国の途に着きました。

(記:石川 久順)  

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