平成21年秋号(vol.15) 

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成21年ボランティア活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

ボランティア風景 ボランティア風景

我が家の家庭菜園

まずは写真をごらんください。

見事に実ったトマト、三歳の孫に食べさせたくてじじいが、4月に近くのジョイスーパーセンターから、トマト2本、ナス3本、きゅうり4本の苗木を買い求めて、2坪ほどの土地に植えた野菜が見事に実ってくれました。

4本のきゅうりは、丹精込めて育てたのに応えて、朝採りの多いときには10本以上の収穫があり、子供たちやカーチャンからほめられました。取立てのきゅうりに味噌をつけて晩酌のビールを飲むときは、見事に育ってくれた野菜に感謝かんしゃです。

一方3本のナスですが、取立ての紺色のナスをボールに入れ、色が飛ばないように重曹を入れて、100回ぐらい振るといいと亡くなったお袋から聞いた話を、再現したいと思いましたが、肝心のナスは多くても5〜6個位しか取れなくて、ボール振りはできませんでした。3本では少なくって、5本ぐらいに増やさなくてはいけないのかな?土地が狭い。

写真のトマトですが、小粒1本と、中粒を1本植えました。これまた見事に育ってくれました。孫に完熟の赤いトマトをもぎ取って、美味しいと食べてもらうときが至福のときです。孫は背丈が低いので最初のうちは、完熟トマトを下のほうから上手に獲っていましたが、さらに上のトマトを獲るためには、心身ともに健康な成長が望まれるところです。

狭い土地ですが、土作りを勉強して無農薬で化学肥料をあまり使わない、体によい野菜作りを心がけて楽しく過ごしたいと思っています。

(記:平野 多田夫)  

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

地元の夏祭りを開催して

小生の住む連合町内会で毎年夏祭りを開催しています。

今年、第26回目を迎え、ローカル色豊かな小さい祭りですが、地元住民のちょっとした楽しみでもあります。

どういう訳か、今回の祭り実施に当たり、実施の責任者に任命され、5月から準備に係り、去る8月8日無事終えたところです。

祭りの実施方針は、「連携」、「愛する故郷」そして「子どもの笑顔」をテーマとし、子ども中心のイベントを多くし、子供たちの笑顔が観れる〔ふれあいのある住みよい町〕づくりをめざすというりっぱな?方針ですが、要するに、町内の連携、親睦そして子どもたちに楽しみを与えようとする祭りです。

ビンゴゲーム、輪投げ、夏休みの想い出をテーマにした絵画の展示、こども盆踊り等子ども中心のイベントの外、マジックショー、民謡ショー、最後にメーンイベントの抽選会とどこにもあるプログラムですが、当日は霧雨が降ったり止んだりの天気でしたが、後半は雨も止み、大抽選会で大いに盛り上がったところで無事終了、雨で中止を心配していた小生とって、ほっと胸をなで下ろしたところです。

地方での小さな祭りですが、子ども達の心に想い出として残り、また、お年寄りの方々にも昔を懐かしむことが出来れば、これ以上の喜びはありません。

どこの町内も同じかと思いますが、当町内会も未来のある子供たちを守るべく、学校、PTA、地域(町内会)が一体となって、防犯対策を最重点に取り組んでます。町内の生活環境の向上と、犯罪、災害等をなくすこのことが、我々地域住民(町内会)に課せられた大きなテーマとして、今後も活動を続けたいと考えております。

(記:熊谷 信弘)  

大倉ダム物語

大倉ダム物語(1)〜銀バスが行く埃り高き県道〜

昭和33年4月、私は中学に入学しました。今までは家から約4km先の小学校に通っていました。当時は砂利道でまだ車も少なく、リヤカー、馬車が主流の時代でした。2.3年前に仙台市営の乗合バスが通り始めていました。中学校までは約2kmの道のりであり、我が家にも貴重なマイカー中古の自転車が一台有り 父、兄、自分の兼用で誰でも空いている時は使っても良いことに成っていたが、特別の急用でも無ければ何時も玄関口に飾っていました。学校までの2kmは徒歩であるが舗装道等は無く砂利道でありました。そんな時代に大倉ダムは着工されていました。道路を通学していると工事に関係する車が時折すれ違っていく 又 他の車も大半はトラック、オート三輪車、で砂煙をモウモウ上げて追い越したり、前からすれ違ったりして行く、よって、道路筋の家の縁側は埃で真っ白でした。又 道端の草木も埃で緑の葉の表面も砂埃で泥だらけと成っていました。雨の日、または雨上がりの通学のときは道路上の水溜りに十分注意しながら行かないと靴はもとよりすれ違う車からの水撥ねを避けないと 頭から泥水を被る事になる。或る時、高校生の兄は学蘭に頭から水を浴び交番に届けクリーニング代を弁償して貰ったこともありました。

その頃銀バスと言って大倉ダムの職員の通勤用の銀色のバスが黒いサングラスをかけた運転手が大勢のダムの職員を乗せて走っていました。私はダムを作る技術者は大学の研究者のような偉い人達と思いながめていました。後年、そのバスを運転していたwさんと釜房ダムの寮で隣の部屋となり、当時の大倉ダムの話を聞くことになるのですが、時代的に何も無い時代で酒飲み、麻雀、映画、博打等・・・が最大の娯楽で大倉、愛子等の各部落で日が暮れてから建物の壁にスクリーンを張って映写機による映画会等を時々やっていました。老若男女子供等も こぞって日暮れに集まっていました。また 北仙台の雨宮に官舎 寮が有り北仙台浅草周辺が飲む歓楽街であったとの事 話は変わりますが 今思うとあの時代に大型自動車の免許を取得していることはかなり恵まれた環境の運転手だったと思われます。当時昭和33年ですから昭和20年代に大型自動車免許取得していたことになります、仙台市内でも免許取得者は万人に未たない人数の時代です。ちなみに仙台 山形線が一級国道48号線昇格は昭和38年4月 また、国道の等級が廃止され全て一般国道となったのが昭和40年4月でした。ダム工事は青下橋が架かるまでは道半から広瀬川に下りそこで川を渡りダムサイト向かう道路でありました。

(記:高橋 成美)  

トピックス

セカイ さよなら 去世無楽

我が家の愛犬 セカイ 御歳18歳で大往生となりました。昨年あたりから犬小屋の前で静かに遠くを見てぼけっとして よれよれとやっと立っている状態であったが、7月に入り餌さを食べるのも腰がふら付いてやっとと言う状態になっていた。朝 餌さ入れに入れた餌さが夕方になっても半分も減ってない、おかしい 犬の状態を見ると小屋の中で寝ている、セカイと名前を呼ぶと目を開けこちらを見る。大丈夫明日になればと思っていたが、次の日の朝も同じ状態で寝ているだけで餌さを食べに起きてこようとしなかった。女房と娘は係り付けのペット医院へと騒いでいるが もう歳であることから延命治療などせず温かく そっと見守ることにしました。寝ているセカイの口に手で水を垂らしてやると舌を出し入れして飲んでる様子でした、そのうち娘が霧吹きで水を与えたが起きるまでには回復はせず寝たままであった。様子を見守っていたが5日経過してもそのままの状態であったので可哀相になので医院に連れて行ったところ、先生 曰く老衰ですね何歳ですかとカルテを見て18歳 長生きしましたね、とのこと 思い起こせば息子が高校生のとき、女房の勤め先の知り合いに洋犬がほしいと頼み 富谷の保健所から捨て犬となる子犬を貰って来たのでした。家に来た時は 我が家の人気者に成り庭中駆け回り、玄関から靴を咥えて持っていき1日中走り回り疲れて入院するはめになり 1日か2日で帰ってくると思っていたら1週間も入院となり、さすがの私も「ダメであれば次のを貰ってくる」と医院に伺ったものである。先生 曰く「直るから入院させている」と無事退院したものでした。その後共稼ぎの我が家の一員として単身赴任、家族の入院、いろいろ有りましたが留守番犬として病気もせず今では居るのが当たり前と成っていました。思い出としては 猫犬でドックフードのほか煮干 私が釣って来た魚の内臓 頭 骨を煮てやると残さず食べてくれました。また有るときは熱射病で倒れた子供をワンワン鳴いて隣に知らせた、お手柄も有りました。

私は茸とりが一番面白く楽しかったです 私が一尾根歩いているうち行きつ戻りつ三倍は歩いていました。散歩も飼い主の気向きで不定期でしたが大分付き合いました。

最後になりましたが  天寿全う 天晴れ 忠犬 セカイ 去世無楽 さよなら

(記:盟 首 一 酔)  

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