平成22年冬号(vol.16) 

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成21年ボランティア活動報告

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

ボランティア風景 ボランティア風景

年頭の挨拶

みやぎ会 会長 清水  昇


みやぎ会の皆さん、新年あけましておめでとうございます。会員及び御家族の皆様におかれましては清々しい気持ちで輝かしい新年を迎えられた事とお慶び申し上げます。

さて、昨年10月の臨時総会で長年にわたり会長をされておりました菅原政一さんが諸般の情勢により、その職を辞することになりました。ありがとうございました。心より御礼を申し上げます。

干支は「丑年」、どういう運勢の年なのかな−と、インターネット検索や図書館に通ってもみましたが納得できる答えを見つけることは出来ないまま‥頓挫‥。

ところで昨年9月には、新しい内閣が発足し、前原新国土交通大臣から、人口減少、急速な少子高齢化、国の多額の長期債務という不安材料を抱えるわが国の状況に対して、これまでの行政のあり方を一旦リセットし、より良い国土交通政策に立て直していかなければならないという考えが示されたと報じられました。そして、わが国が将来にわたって持続可能な国づくりを進めるため、「海洋国家日本の復権」、「観光国家の推進」、「オープンスカイ」、「官民連携による海外支援と社会資本整備」等を国土交通省の成長戦略として持ち出していくことに至ったことを受けて、このような新しい方法に沿って、事業展開が図られていくことになると思われます。

このような時代の動向はともあれ、現実の状況は、大変きびしい事ばかりであり、景気回復による経済成長もおぼつかないのではないかと思われることすらあります。

最後になりますが、今年もみやぎ会目的達成のために、総会で決議された平成22年度の各種事業をしっかりと実施して参りたいと思いますので、会員の皆様方の積極的な参加をお願いし、念頭にあったての挨拶といたします。


みやぎ会会長退任にあたって

菅原 政一


昨年10月18日恒例のみやぎ会芋煮会に先立ち、臨時総会を開いて、私が退き新しく清水さんが会長に就任することについてご承認をいただきました。

私が会長となったのは、仙台市が市制100周年を迎えた平成元年に政令市に移行してから数年経った頃だと思います。当時はバブルが崩壊しつつも、その余韻が残ってた頃ですから、意外と明るい雰囲気が漂っておりました。特に、みやぎ会会員が住んでいる旧宮城町は、当面、青葉区としてスタートすることになるが、その後、当該地域の発展により人口が増えた暁には広瀬区として分区することになっていたようです。事実、栗生・愛子地域の開発計画には目を見張るものがありました。このような明るい将来を話題にしながら酒を酌み交わしたのが昨日のように思い起こされます。

今、我が国は先行き不透明な、混迷する時代を迎えております。昨年の世相を表す感じが「新」でした。これは新しい政権になったことと、このことが新しい時代の到来を予感してのことだと思いますが、私にとっては変転きわまりない世の中になったことを肌で感じ、むしろ驚天動地の「驚」が相応しいのではないかと思いたくなるほどであります。

暗くて長いトンネルをなかなか抜けだすことができない現状にありますが、このような時にこそ、みやぎ会の会員が悩みや希望を語るために、仲間として集うことは大変意義のあることだと思いますので、引き続き清水会長を中心として活発に活動を展開されることを祈念しつつ、私も会員として、できる限り会の活動に参加させていただきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げ退任の挨拶とします。


大倉ダム物語

大倉ダム物語(II) 〜仙台市定義ダム。宮城県大倉ダムの綱引き〜

前回の国道48号線の道路状況の続きですが、当時砂利道の補修は県職員の道路工夫が毎日受け持ち工区の補修をしていました。鋤簾じょれんとスコップで雨の日は合羽を着て、夏の暑い日は埃をかぶりながら毎日道路の平坦の悪い穴ぼこを周りの砂利を集めて埋めていました。また、月に1度程度の割合にグレーダで均して補修していました。グレーダで均した後の土の多い所は鏡のようにピカピカ光っていて、子供たちは夏の暑いときは靴を脱いで裸足で歩いたりしていました。昭和40年代になって道路改良と同時に舗装が始まり現在に至っております。

仙台市は昭和9年完成した青下ダム(平成21年春号(vol.13) で「青下貯水池」として紹介)の実績を踏まえて今後の人口増の推移を見越し新たな水源池として大倉川上流にダムを計画し 昭和25年から上水道用水を目的として定義ダム(定義如来さんより上流700m地点)の調査を始めていました。計画では高さ73.4m堤頂長180mの重力式コンクリートダムで支流の横川、湯川をトンネルで結び総貯水容量2,200万トンであり昭和38年には日量20万トンを上水道用水仙台市7万トン、塩釜市3万トン、仙塩工業用水10万トンを給水する案でした。一方、宮城県では昭和22年カスリン台風、昭和23年アイオン台風、昭和25年8月の出水と相次ぎ大洪水に見舞われ名取川の治水計画は根本的に改訂されることとなり、昭和29年3月広瀬川上流に大倉ダムを建設することを含めた第一次改訂がなされて、現在の大倉ダム地点にコンクリート重力式のダムを造る計画でした。県と市の間で二つのダム計画が出来上がり事業主体を双方譲らず三年有余もめて当時の県会議長の斡旋により解決出来たとあります。昭和32年特定多目的ダム法が公布され、東北地方では皆瀬ダムと共に同法に基づく最初のダムとして着手されている。ダム計画に当たってはダムサイトの地形、地質、ダムのポケット、ダム効率によって二、三の候補地から優劣を絞って決めているのが一般的であるが、ここ大倉ダムでは事業主体でもめた経緯があった。

次に河川統制の思想の要約、物部博士の論文(1926年、土木試験所長)

  • 1)河川改修による広大な河道が全能力を発揮する期間は極めて短く貯水池による洪水調節は国土の経済利用上有利
  • 2)発電が渇水に苦しむ冬季の大洪水はない。夏の渇水用にある程度の水量を洪水調節容量に加えておけば多目的計画は成立つ
  • 3)貯水池地点は少ないので多目的計画とすべきある。治水、灌漑かんがい用のものは下流に、発電を主としたものは上流に効率よく配置、運用は公平な立場の河川管理者が行う
  • 4)大貯水池の下流には流況安定の目的で逆調整池を設け、上流には埋没防止のために砂防工事を実施
  • 5)私企業の貯水池にも総合計画とするため助成策を講ずる。とある。この思想は今でも多目的ダムの考え方そのものである。

このような経緯を踏まえ昭和33年4月大倉ダムは着手された。今大倉ダムを見ると物部博士の論文そのもの位置に築造されている事が分かります。

※参考資料

  • 「30年のドキュメント 沈んだ村」S46年発行 菅野 照光薯
  • 多目的ダムの建設(研修テキスト)S44年発行 (財)全国建設研修センター

(記:高橋 成美)


会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

絵ハガキは宝物

私の海外旅行は、平成6年に「米国・カナダ入札・契約制度調査団」の一員としてアメリカ・カナダ13日間の旅行が始まりです。その後は研修や観光目的で14回を数えるまでになりました。訪れた国は15カ国(アメリカ・カナダ・オーストラリア・イタリア・フランス・ドイツ・イギリス・中国・台湾・韓国・シンガポール・マレーシア・ベトナム・カンボジア・タイ)です。最近は6〜8名のグループで「アジアの旅」を楽しんで、中国は4回(桂林・石林・昆明・無錫・蘇州・杭州・西安・北京・長春・瀋陽・紹興・大連・青島・曲阜・泰山)、台湾・韓国・ベトナムはそれぞれ2回訪れています。

外国の旅に出かけますと必ず「絵ハガキ」を1日1枚我が家に現地の旅情報として出すようにしています。従って、現地で最初の買い物は「絵ハガキ」で、コインなどの小銭を準備しなければなりません。と言っても日本の銀行であらかじめ換金出来るのは万単位ですから、空港での換金又は現地のガイドさんにお願いして用意することになります。しかし、現地に夜遅く到着する安いツアーがほとんどですので1日目の「絵ハガキ」の確保には苦労します。ホテルにある場合は助かりますが、ホテルは3星以上に泊まることは滅多に無いのですからお手上げです。

「絵ハガキ」を入手して、その日のこと(飲んだときは前日のこと)を書いて郵便番号・住所・宛名は日本のルールでよいのですが、加えて「JAPAN」、「AirMail」を赤書きし、枠で囲んで目立つようにしないと我が家には届かないのです。「JAPAN」は必須です。「AirMail」は航空便の意味ですから、これを書かないと船便となり何カ月で届くか判りませんし行方不明となるとも言われています。「AirMail」と書いても5〜6日の旅では、ほとんど私が帰国してから届きます。

ホテルで翌日の最初の仕事?は、(1)フロントで外国宛料金の切手を入手して投函するか、(2)手数料込みの切手代を払って投函をお願いするかです。日本語以外話せない私には(1)はできません。(2)の場合でも「絵ハガキ」を差し出し、切手を貼るところを指さし欧米など英語圏では「スタンプ」、中国では手帳に書いている「●票」((注)●は、由に「おおざと」)の文字を示して理解していただきます。しかし、欧米では仕事の役目が違うと切手(スタンプ)を求めていることを理解しても取り合ってくれません。担当者または担当コーナーを指さすだけです。また、一からやり直しで前夜のアルコールのほとんどは吹き出します。

イタリアのローマでのこと、このホテルで切手は扱っていない? ホテルの前の店で購入し自分で出せ?(と言ったと思いますが)などなどをイタリア語でまくし立てられました時は、店は何処にあるの?を含めて???の連続で発送を断念しかかりました。幸いもう一人同じことを考えた方と二人になりホテルの前に出てキョロキョロして店を探し当て、店の方に「絵ハガキ」を出して切手を買い投函をお願いしました。イタリア2泊でしたので切手も2枚買い翌日に備えましたが、次のホテルではフロントで受け付けてくれましたので切手は無駄にはなりませんでしたが、ホテルの手数料は取られました。

イタリア以外はフロントで手数料込みの料金を払いお願いできます。なまじ?通訳の方にお願いして外国あての切手を求めると切手の枚数が3枚となって、切手を貼ると宛名が消えてしまうので裏側に張ったこともあります。手数料は払うべしですが、まだ届かないのが中国・長春1通、ベトナム・ハノイ2通があります。

旅に出かけるときお小遣いをいただくので、「絵ハガキ」1日1枚は感謝を込めて出しているのですが、このような苦労はなかなか口に出せません。80枚ほど貯まった「絵ハガキ」を、私の宝物と言ってくれておりますので止めるわけにもいきませんし、これからも「アジアの旅」は続けたいと考えておりますので宝物は増え続けることでしょう。そして「絵ハガキ」の購入・記述・投函の苦しみは続くことになります。

(記:みやぎ台 佐々木洋治)

トピックス

みやぎ会臨時総会と芋煮会の報告

菅原会長から高橋副会長へ、諸般の情勢を考慮するとみやぎ会会長の職を継続するには無理があるとのご相談をうけて、急きょ臨時総会をすでに計画していた、芋煮会と同日開催することとなりました。

臨時総会は、平成21年10月18日(土)割烹茶々において、会員17名の参加をいただき開催し、まず、高橋副会長から新会長選考にあたって役員会で検討した内容の紹介があり、次の3条件を基に選考した結果、第一「みやぎ会で現在活躍している者」、第二「現在職に就いている者」、第三「東北建設協会に就職したことのない者」の、3条件に合致する清水昇氏を会長候補として推選する旨の提案があり、満場一致で大きな拍手のもと承認されました。

菅原会長には、平成3年の発足から通算15年間、みやぎ会発展のためご尽力いただき多くの成果を得たところでありますが、今後とも引き続きみやぎ会発展のためご指導をよろしくお願い申しあげます。

新会長の清水昇氏には、蓄積された多くの経験をもとに、みやぎ会の今後のご指導をよろしくお願い致します。

臨時総会終了後、浪岡芋煮会幹事の司会により、待ちにまった芋煮会に入りました。

厳しい変革の時代をうけて、昔なじみの皆んなと会い直面する問題について真剣に話あっていました。

宴が進むにつれ高野副会長から秋田民謡のご披露があり、また、同郷の清水会長からも秋田音頭がご披露されて芋煮会も大盛況で終わりました。

東北地方整備局に在職されている現職の皆さんには、苦境に耐えて変革の時代を乗り越え、楽しい未来が拓けるようにと、参加者の全員から励ましの言葉が語られていました。現職の皆さん頑張ってください。みんなが応援しています。

担当:平野 多田夫


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