平成25年冬号(vol.28)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成24年ボランティア活動報告

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜9月の第4土曜日で、平成24年の活動日は下記のとおりです。当日は宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行いました。

ボランティア風景 ボランティア風景
年頭の挨拶

みやぎ会会長 清水 昇


みやぎ会会員の皆様及びそのご家族の皆様に謹んで新年のお慶びを申し上げます。

平成3年12月28日に発足したみやぎ会も早くも21年をむかえ、会員数も101名(現役34名、OB67名)を数えるに至っております。

しかしながら最近の傾向として、大変好ましい事でありますが、定年満期までの在職が定着しつつある事と併せてOBの高齢化に伴い脱会する会員も増加しつつあり会員の確保に苦慮しているのが実情であります。

とはいえ、総会を12月29日に行っている歴史には主として単身赴任者の帰宅に合わせて、いわゆる会員相互の情報を交換し、お互い若かりし頃に一時的にでも戻り誠に有意義な場であり、今後も会員を確保しながら、更なる発展を図ってまいりたいと思っておるところです。ところで一度ぐらいやらせてみたらと思った国民はどれくらいいたかどうか定かではありませんが、”コンクリートから人へ”とか、本来国民の生命、財産を守るべき公共事業を役割は終わったとばかりに並べて例の八ツ場ダムを始めとする数々の社会資本の整備を凍結あるいは中止をしたりしました。

そもそもコンクリートは国民の生命と財産を守るために必要不可欠なもっとも重要な資材であり、国土の均衡ある発展には、欠く事ができません。

八ッ場ダムの本体が中止している時期に同事務所の職員何人かと話をする機会がありましたが、事業に関わっている関係者の多くは「何故に世間に背を向けているかの如く批判されているような気がして肩身が狭い」と言っていました。

八ッ場ダム本体工事の中止は解除になりましたが、同ダムの顛末は国民の目から見れば社会資本の整備に対する不信感だけが残ったと言えると思います。

年が改まり今年は十二支で最も金運に恵まれると言われる巳年です。何故に巳年はそのように言い伝えられているのか?

これは、七福神の紅一点弁財天は、財や富をもたらす女神として親しまれ、巳はその使いとして知られており巳年となる今年は、弁財天の力が強まる時であるからという説があるようです。

弁財天に大いにその力を発揮してもらい、巳年はやっぱり最高となるよう会員の皆様と共に新年を寿ことほぎ、おだやかな年でありますようお祈りいたします。

会員の広場

古里コーナー

私のふるさと紹介「秋田県大仙市」

24年4月から仲間入りいたしました。新顔のあいさつと思い投稿します。故郷を離れて40年の歳月が過ぎました。両親が健在なので折々帰省しています。

生まれ在所は、雄物川と玉川の合流点の「旧、大曲市花館」、農家の長男でした。夏になると、毎日のように「玉川橋」の下で泳ぎをしたものです。きれいに澄み切った冷たい水です。いまでも思い出します。近くの渡し船のある雄物川では泳ぎませんでした。濁った汚れた水のイメージです。少し上流には丸子川も合流しています。子供の頃の記憶として、大雨が降るといつも田んぼが氾濫していました。

中学2年の年です。「花館中学校」から「大曲中学校」に合併しました。3クラスから突然12クラスのマンモス学校となりました。幸いにして、通学距離は同じで1qです。このころから雄物川の新川堀工事が始まりました。「大曲捷水路」工事です。低水路幅は300m、左右岸幅は700mもあり、広大な高水敷きが誕生しました。以来、「大曲花火競技会」の打ち上げ場所になりました。年々盛大となり日本一の花火大会だと思います。毎年8月の最終土曜日が開催日です。花館中の跡地は、河川敷きゴルフコース7ホールあたりに「白杭」で明示されていました。オービー杭ではありません。

2月の旧正月行事としては、「川を渡る梵天」です。雄物川に橋の無かった時代の渡し船を一日だけ復活させて今も続いています。昨年、還暦の記念に40年ぶりに梵天と一緒に船に乗って「伊豆山神社」に奉納してきました。

花火会場の桟敷の正面に見える山は出羽丘陵です。一番高い山「太平山(姫神山)」の頂から眺望できる仙北平野は、太陽の光をうけてキラキラ輝いています。小学6年の遠足で登って初めて見たこの光景が私の「ふるさと」の原風景です。いつでも脳裡に浮かびます。

定年退職して、現在は仙台駅東口方面にバス通勤しています。社会還元のつもりで、時々ですが、研究会会員としてボランティア活動もしています。

(2012年11月末日に記 みやぎ台  石川 進作)

つぶやきコーナー

東日本大震災と「稲むらの火」

はじめまして、今年(平成24年)の4月に退官しました落合二丁目の庄子と申します。宜しくお願い致します。11月中旬に入ったある日、みやぎ会HP編集委員長様より原稿依頼を頂き、文筆を苦手とする私にとって苦痛の日の始まりとなり何を紹介したらいいのか非常に悩みました。

生まれも育ちもほぼ当地である旧宮城町の紹介とするか、大震災において感じたことを紹介するのか迷った末、最終的に大震災の出来事で非常に悔やまれたことについて、ペンを走らせて頂くこととしました。

私が物心ついてから今日までに体験した大地震は、十数件かと思います。その中でも一番怖い思いをしたのは昭和39年6月16日の午後1時過ぎ、新潟県粟島南方沖を震源として発生した「新潟地震(当時、関東大震災以来の規模と言われた)」ではなかったかと思っております。

当時、小学6年生だった私は、昼食を楽しんでおりました。すると突然、地割れがするような唸りが聞こえ、蛍光灯が大きく揺れ出しました。『早く机の下へ!!』と叫ぶ先生の声に、咄嗟とっさに机の下に潜り込みました。木造校舎だったこともあってか、教室の天井の梁が柱から抜け落ちるのではと思うほど大きく左右に揺れ、その様子を机の下から恐怖に脅えながら見ていたのを、未だにはっきりと憶えています。

その後、生徒の動揺を納めるためだったのか担任の先生が、「稲むらの火」と「地震時の行動について」色々と話をしてくれました。その時聞いた「稲むらの火」に子供心ながら興味と感銘を受けた記憶が残っており、未だに地震を感じるたび思い出すことがあります。

平成23年3月11日、三陸沖で発生した東北地方太平洋沖地震時は、本局にて被災を受けました。この時、徳山局長が、災害対応のため災害対策室に集まった職員に対し放った言動、当時の大畠国土交通大臣とのテレビ会議での進言や、その後の言動など等が、「稲むらの火」のモデルとなった濱口儀兵衛と重なり自分として士気が高まり災害対応に取り組んで行けたのではと思っております。

この「稲むらの火」は皆様もご存じかとは思いますが、戦後世代の方のため復習しますと、江戸時代末期の1854年(安政元年)、安政南海地震による大津波が紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)を襲いました。この時、村の濱口儀兵衛という男が、稲わらを積み上げた「稲むら」に火を付け、暗闇の中で逃げ遅れていた村人を、安全な高台へと導きました。災害後も、儀兵衛は私財を投じて村人達のために住まいを建て、堤防を作るなど村の復興に力を注ぎました。そして、その堤防の完成から88年が経過した1946年(昭和21年)の昭和南海地震の時に、村を大津波から守ることが出来たという話です。

この実話を元にしたのが「稲むらの火」です。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神を描いたもので、昭和12年から10年間、国定教科書の小学校国語読本となっていました。

2005年(平成17年)1月、インド洋大津波(2004年12月26日)をうけ緊急開催した東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理に「日本では小学校教科書に「稲むらの火」という話があって、子供の時から津波対策を教えていると言うが、事実か?」と尋ねられ話題になりました。

「稲むらの火」は、スマトラ沖地震・インド洋大津波をきっかけに注目され、シンガポールやバングラデシュ、インドネシアなど8カ国の言葉に訳されて防災教育に使われています。

また国内でも、平成22年のチリ地震津波の襲来をきっかけに、防災関係者などから「稲むらの火」を教材として復活させたいという声が高まり、平成23年度、小学5年生用国語教科書にて「百年後のふるさとを守る」で復活が決まった矢先の東北地方太平洋沖地震でした。

今回の東北地方太平洋沖地震に伴う津波では、多くの犠牲者を出してしまいました。中でも、宮城県石巻市の大川小学校の惨事等は、私にとって考えさせられることが多くありました。

津波対策にとって最も大切な心得は高いところへの素早い避難ですが、1年の収穫である「稲むら」を燃やしてまで、村の人たちに避難を呼びかけた儀兵衛の行動を通して避難の重要性と地域で協力しあう大切さを伝えようとした「稲わらの火」、なぜ教科書より外すことになったのか。

隣の岩手県釜石市では東北地方太平洋沖地震で大津波に襲われたにもかかわらず、小中学生の99.8%が自らの命を守りきったことが「釜石の奇跡」として語り継がれているそうです。「釜石の奇跡」は8年前から行ってきた防災教育の効果が見事に表れた結果だと言われております。

そんなことから、「稲むらの火」が小学校の教科書から外されていた64年間がどうしても悔やまれてなりません。

(落合在住  庄子 富夫)

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