平成29年夏号(vol.46)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成29年ボランティア活動報告及び予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜11月の第4土曜日に、平成29年の活動は下記の日程で宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行っています(リンク先に活動報告が掲載されています。)。

ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

小牧ダム、御母衣ダム〜庄川水系〜

目次

1.はじめに(平成29年春号(vol.45)掲載)

2.庄川水系のダム(平成29年春号(vol.45)掲載)

3.小牧ダム

4.御母衣ダム(平成29年秋号(vol.47)掲載)

5.おわりに(平成29年秋号(vol.47)掲載)

3.小牧ダムこまきだむ

平成28年7月2日、北陸新幹線の新高岡駅で下車しました。路線バスもありますが、便数が少ないのでレンタカーを利用しました。駅周辺は開発途上の雰囲気であり、北口側ではビルの建築工事が行われていました。北陸新幹線の開通で、賑わいを見せる金沢とは異なり、のどかな駅前です。

庄川の河口の高岡市から庄川を遡って小牧ダムへ向かいます。途中の南砺、砺波一帯は散居集落の美しい田園地帯です。この田園地帯を抜け、山間地に入ってまもなく小牧ダムが現れます。昭和の初め、5年の完成ということですから、もう80年を超える風雪に耐えたダムです。

左岸の国道沿いに、駐車スペースと碑が建立された公園的広場が整備されています。さほど広いスペースではありません。土木学会や文化庁、経済産業省などから認定された表彰楯が石碑に埋め込まれ、鎮座しています。

遊覧船の案内看板があり、公園広場の先のトンネルを抜けると、公園広場よりは広い駐車場と建物・遊覧船の発着場があります。大牧温泉という貯水池の対岸にある温泉場へ向かう遊覧船の乗り場です。観光バスも停車していて、宿泊客を待っている様子でした。

小牧ダムは高さが79.2mのコンクリート重力式ダムで、建設当時東洋一と称されました。日本ではダム式発電の経験が乏しいということで、大正9年にアメリカのストーン・エンド・ウエブスター社から専門技術者が招聘され、指導を受け、同社に設計・施工の契約を締結しています。しかし、大正12年に発生した関東大震災の影響により中止になってしまいます。大正14年に工事が再開され、14年4月に起工以来5年半後に完成し、昭和5年11月に発電が開始されました。

小牧ダムは庄川水力電気会社が始め、日本電力会社に移管されて工事が進められました。工事主任を石井頴一カいしいえいいちろうが務めています。

【  写真−4 小牧ダム湖畔,写真−5 小牧ダム名板,写真−6 遊覧船乗り場前のジョンソンバルブ  】
【 写真−4 小牧ダム湖畔,
  写真−5 小牧ダム名板,
  写真−6 遊覧船乗り場前のジョンソンバルブ 】

クレストゲートが17門も配置され、ダム右岸にはエレベータ式魚道、左岸側には木材運搬用のコンベアが設けられました。物部長穂による耐震設計理論(震度法)を初めて採用して設計されたダムでも有名です。

堤体の設計デザインにも気を遣い、当時、関東大震災後の震災復興として橋梁の設計にも関与していた建築家の山口文象にも依頼したと言われています。(池田大樹 小牧ダム 技術者と建築家のコラボレーション JSCEVol.87 july2002)ダム軸にアーチを採用し、17門の越流部のピア群と非越流部にも設置した同間隔の扶壁が特徴です。

石井は土木学会誌に「小牧発電工事報告」として108ページの論文を発表しています(土木学会誌第十八巻第四号 昭和七年四月)。ダム軸に用いた円弧の曲率半径は880尺(880*30.3/100=約267m)、堤頂長は987尺(987*30.3/100=約299m)、下流面勾配は1:0.75です。尺貫法時代の資料なので、長さは尺で表示されています。袖堤と称している非越流部は30尺(9.1m)間隔に扶壁を設け、越流部ピア同様の形状で施工したのは堤体の補強と美観を兼ねていると記されています。

ダム軸にアーチ(円弧を導入)を入れることは戦前の日本のダム造りの特徴だったようです。理由としては、アーチ計算を行っているわけではありませんが、堤体の安定感を増すことを期待しているためのようです。期待しているのは堤体構造対策というアメリカの考え方と温度応力対策というドイツの考え方に分かれています。

小牧ダムはアメリカのアローロックダム(Arrowrock Dam)を設計した技術者の指導によりダム軸にアーチを入れる設計となった、と石井は述べています。基礎岩盤掘削後、右岸の河床に大きな断層が見つかり、断層を避けるのに曲線形状が幸いした旨のエピソードを述解しています。Arrowrock Dam は1915年(大正4年)に完成した高さ約105mの大ダムであり、当時では世界でも最大級と記録されています。ダムの型式もConcrete Thick Arch、コンクリート薄肉アーチとなっています。しかし、写真を見た限りでは重力式ダムに見えます。

前述のとおり、ダム設計に物部長穂の耐震設計法を採用し、重力式ダム設計における画期となったのが小牧ダムです。石井は物部の地震に対する計算を入れて、アローロックダムの断面を少し増したと語っています。同ダムの図面が手元にないので詳細はわかりませんが、米開拓局ホームページのダム諸元に示されたダム高と最大ダム幅の比をとると約64%になります。小牧ダムは75%なので、石井が説明する、少し増した断面、即ち、64=>75%(1:0.75)は頷けるところです。(樋口ほか 技術者の言説からみた近代日本におけるコンクリートダム技術の変遷、発電水力の歴史を語る座談会)

小牧ダムは、平成13年(2001年)に土木学会選奨土木遺産、翌14年には河川用ダムとして初めて登録有形文化財に登録されています。また、19年(2007年)には経済産業省の近代化遺産群(「中部電源」の庄川の水力発電産業遺産)に登録されています。

【 写真−7 小牧ダム(下流面:左岸側より) 】
【 写真−7 小牧ダム(下流面:左岸側より) 】

小牧ダムの現場です。全体として、エレベータシャフト、現在のダムに通常見られる取水設備の上屋等の構造物が天端上になく、すっきり感があります。右岸側も道路に接続していて、ダム天端は通路幅が狭いので人に限り自由に往来できます。越流部区間はゲートの巻上機などの保護のため、フェンスで囲われ、広くない天端をさらに狭くしています。もっとも、1m位の幅はあるので、人一人が歩くには十分かもしれません。

【 写真−8 ダム天端状況(左岸側より) 】
【 写真−8 ダム天端状況(左岸側より) 】

堤頂幅は約4mほどです。現在ではこのような狭い堤頂はないと思いますが、当時はこれで標準だったのでしょうか。小牧ダムは当時東洋一のダムと称されたとしてもそれまでのダムの天端幅はこの程度だったのかと思えます。玉川ダム当時の標準は7m程度でした。昭和32年完成の鎧畑ダムは5m程度だったと思います。

ダム軸にアーチ、非越流部にもピアを設けるという着眼はすばらしいと思います。ダム軸方向に越流部が相当範囲を占めていて、非越流部が相対的に短いので、非越流部にも疑似ピアを入れた方が全体として調和がとれ納まりがよいように感じます。ダム軸にアーチを入れたことによって、広い越流部からの越流水が河心方向に集まりやすくさせることも効果として見込んでいるのでしょうか。庄川の流心は右岸側に寄っています。

このようなダムもあるのだなと思えます。近年、これを模擬したようなデザインのダムが散見されます。主観ですが、ダムには個性があり、模擬したとしても必ずしも景観的に相応しいダムには見えない事例もあるように思います。

天端のコンクリートはさすがに風雪に耐えきれず、表面はぼろぼろ状態ですが、骨格となる深部には問題がないようです。天端の照明灯もこのピアの上に連結設置されているのですが、一部の照明灯基礎部分にはコンクリートが欠けた箇所が見られます。左岸側の堤体をみると、コンクリート表面を緑色の苔などが覆っています。コンクリートそのものはそれほど痛んでいるようにはみえませんが、全体として、約80年を経過した時を感じさせます。

【 写真−9 小牧ダム(上流面:手前に木材運搬設備) 】
【 写真−9 小牧ダム(上流面:手前に木材運搬設備) 】

右岸側に魚道が、左岸側には流木材荷揚げ用の設備が設けられ、3門の排砂門もあります。現在では、使われなくなっているようですが、往時の関係者の熱意がこもった施設です。勿論これには訳があり、その理由は前述のとおりです。

現在は関西電力が管理するダムなのですが、もう少し説明の工夫を惜しまず、広報の充実をしてくれれば有り難いと思います。国道沿いのスペースに複数の説明板がありますが、わかる人のみわかるという内容であり、読む人によくわかるようになっていません。歴史的価値と技術力に優れたダムなのに惜しいと思うのです。

小牧ダムの見学後、この日の宿、五箇山温泉向かいました。山岳地帯特有の道路状況が続き、スノ−シェッドが数多く設置されています。この庄川筋の国道を遡って行くことになります。途中にいくつかのダムが車窓から見え隠れしています。中でも、小牧ダムと同時期に建設された祖山ダムの姿が一瞬の映像ですが強烈でした。本ダムだけはダム年鑑などに掲載されているのですが、そうした写真では見ることができない左岸側の脇ダムや右岸下流に広がる高台の集落は圧巻の景色でした。

4.御母衣ダム(平成29年秋号(vol.47)掲載)へ続く


(参考文献)
3.小牧のダム
・石井頴一カ 小牧発電工事報告 土木学会誌第18巻4号昭和7年4月
・発電水力の歴史を語る座談会 発電水力 1955年
・堀川洋子ほか 「近代土木遺産」の評価に関する一考察
  − 発電用ダムの”近代遺跡”調査を事例として
  − 土木史研究第21号2001年5月
・樋口輝久ほか 技術者の言説からみた近代日本におけるコンクリートダム技術の変遷
  土木史研究論文集 Vol23 2004年
・竹林征三ほか 日本初のエレベーター式魚道の土木史的考察
  土木史研究第15号1995年6月
・米開拓局ホームページ アローロックダム https://www.nps.gov/nr/travel/ReclamationDamsIrrigationProjectsAndPowerplants/ Arrowrock_Dam.html

記 島田 昭一

漬物三昧

年から年中、何かしら漬物を作っています。

始まりは、実家の湯沢で食べた「ビール漬」でした。生の大根を塩、ザラメ、酢、粉辛子、ビールに漬けるもので、ビニールの袋などでカシャカシャ混ぜて、冷蔵庫などで寝かせるとできあがる手軽なものですが美味い。

これをアレンジして、冬前に出回る干し大根で漬込みしてもう十年以上になるでしょうか。今では、80本前後漬けたりしています。

それでも、一つには、息子が金沢で蕎麦をメインとした料理店をやっているので、それに送ったり、親戚や知り合いに配ったりで、あっと言う間になくなります。自慢したいのですね。

何しろ秋冬は、漬けたいものが目白押しです。大好評なのが「おみ漬け」「温海の赤カブの酢漬け」です。それぞれ、山形まで買いに行って揃えますが、どちらも二度漬けしなければならず、結構、手間と労力と金がかかります。特に「おみ漬け」は、切りスルメを入れたりして工夫していますが、あまり日保ちがしないのですぐに霧散してしまいます。

「温海かぶ」での苦労は、重しです。この時期、ビール漬などで重しはフル回転状態なので、ポリタンクに水を満タンにして利用しています。

さて、ほとんど年中出回っているのが「きゅうり」です。簡単で、日保ちが良く、美味しい「辛子漬け」を紹介しますので、こっそり作って、家族を驚かせてください。

分量は、きゅうり1s当り、塩30g(3%)、砂糖100g、粉辛子(黄色い和辛子)20〜30gです。

これを食品保存用の袋などに一緒に入れて、シャカシャカよく振って混ぜ合わせ、できるだけ空気を抜いて冷蔵庫などで寝かせてください。一晩経てばたべられますが、三日後あたりから、すこしシワシワになりはじめると美味さが増します。密封状態で保存すると、一か月は大丈夫です。一度作ったら、後は自分に合った味に調整してください。

茄子も去年あたりからすっかりはまっている漬け方がありますが、日保ちがしないので早目にお召し上がりください。

茄子(仙台長茄子など小ぶりな漬け茄子)1s、塩35g、砂糖65g、ミョウバン2g、水300t。

これも袋で、最初は茄子とミョウバンをよく混ぜ合わせて、砂糖と塩を混ぜ込んで、水を入れて、空気を抜いて重しをして一晩置くだけで、決して売っていない適度な味に仕上がります。

どうぞ、お試しください。

記 田尻 勉

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