平成29年秋号(vol.47)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成29年ボランティア活動報告及び予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜11月の第4土曜日に、平成29年の活動は下記の日程で宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行っています(リンク先に活動報告が掲載されています。)。

ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

小牧ダム、御母衣ダム〜庄川水系〜

目次

1.はじめに(平成29年春号(vol.45)掲載)

2.庄川水系のダム(平成29年春号(vol.45)掲載)

3.小牧ダム(平成29年秋号(vol.46)掲載)

4.御母衣ダム

5.おわりに

4.御母衣ダムみぼろだむ

五箇山温泉の宿を8時過ぎに出発し、御母衣ダム湖畔にある荘川桜を目指します。御母衣ダムは庄川筋の水力発電ダム群の最上流、一番奥まった所にあります。小牧ダムからは距離にして約74Km、五箇山温泉からは40Km余りです。途中に庄川沿いのダム・貯水池群が見えてきます。一連の庄川沿いの集落は、高台の段丘面か緩やかな傾斜面に点在しており、一見するとダム貯水池と共存しているかのように思えます。しかし、農林業を生計としていた庄川渓谷沿いの人々にはダムは障壁でした。小牧・祖山ダム建設時代に争われた筏流し事件などにその一端をみることができます。

途中、合掌造りの郷、世界遺産として有名な白川郷を抜けます。集落を貫く国道を走るのですが、平日とはいえ、訪れる観光客も比較的多いようにみえます。富山県から岐阜県へ入ると高山市荘川(旧庄川村)となります。

【  写真−10 荘川桜(公園)(左), 写真−11 碕達之助の歌碑(右)  】
【 写真−10 荘川桜(公園)(左),
  写真−11 碕達之助の歌碑(右) 】

御母衣ダムを過ぎてしばらく走ると、荘川桜は見えてきます。国道脇、湖畔沿いの公園に2本の桜がありました。2本の桜の古木が移植されてから約50年が経過しました。荘川桜プロジェクトについてはNHKのプロジェクトXにも取り上げられています。湖の底に沈むはずだった2つの寺から桜の古木を移植し、故郷を沈められた住民の心のシンボルとなっているとのことです。桜の花の季節は過ぎていることもあり、この日、車を止めて散策しているのは私一人でした。荘川桜前後に繋がるさくら街道のさくら並木も開花の季節にはさぞかし多くの人を魅了してやまないでしょう。先人の遺業を電源開発は引き継ぎ、桜の管理すなわち桜守を務めています。

ここから、再び、御母衣ダムを目指して、引き返します。ダムの直下の国道沿いに、かまぼこ様の形をした鋼板(メタル色)製の施設があり、広い駐車場も完備しています。中は管理事務所と展示館・シアター館となっています。荘川桜の写真展、ダムのPR、特に、シアター館では20分弱のビデオにまとめられた荘川桜の物語を自由に見ることができます。荘川桜について電源開発では大切なエピソードとしてその広報に力を入れているようです。

関西電力とは異なり、電源開発は一般客への配慮がなされています。古い水力発電施設、1ダムのことなどですが、電源開発にとっては主力商品だからこそ力が入るのでしょうか。1960年代は水力発電用の大規模ダムの黄金時代でした。その時代のエポック的ダムの一つがこの御母衣ダムです。

シアター館のビデオでは、御母衣ダムや荘川桜の経緯、荘川桜プロジェクトを実施した人々の映像が元住民の方の語りとともに映し出されます。荘川桜も偉業ですが、これをさらに国道沿いに太平洋側から日本海側まで繋げる桜の植樹を続けたことも同様でしょう。その桜街道を作り上げた佐藤良二さんのこともしっかりと説明していました。

【  写真−12 御母衣ダム(下流面)  】
【 写真−12 御母衣ダム(下流面) 】

事務室でダムカードをもらう際に、御母衣ダムを近くで見学したいと尋ねると、1番目のトンネルを抜けたところにダム天端へ向かう道路があり、立ち入りは自由だと説明してくれました。管理事務所からは日光いろは坂のようなつづら折りの急勾配が連続する山岳道路を登ることになります。

御母衣ダムは日本で初めて建設した本格的な大規模ゾーン型ロックフィルダムであり、記念碑的なダムです。日本発送電から関西電力へと引き継がれて進められましたが、政府の指導により、発足したばかりの電源開発に事業が移管され、昭和35年にダムは竣工しています。

ダムサイト右岸側に川と平行(上下流方向)に相当幅(10〜30m)の断層が存在していたため、アメリカのダム地質とダム工学の専門家を招き、指導を仰いでいます。コンクリート重力式ダムとロックフィルダムを比較検討の結果、ロックフィルダム型式になりました。

本体の施工は「ダムのハザマ(間)」の間組が担当し、施工に当たってはアメリカのアトキンソン社と技術提携を行い、現在のCM方式のように、技術者が駐在しています。当時の事務所名が奮っています。技術報告資料の所属名は「(株)間組日本一ロックフィル大ダム建設所」 です。企業者側もアメリカの技術指導を受けてきた経緯もあり、日本における大規模ゾーン型ロックフィルダム建設に向けてなみなみならぬ意気込みが感じられます。

ダム型式は傾斜土質遮水壁型ロックフィルダムであり、コアゾーンが傾斜(下流側に勾配1:1.5)し、下流側フィルターゾーンは上流側より厚くしています。傾斜コア型は現在のロックフィルダムでもあまり見られません。傾斜コア型を採用した理由については、御母衣ダムが豪雪地帯での施工になり施工日数が限られるため、ロックゾーンを先行して盛り立てられる型式だからであると当時技術指導したアメリカ人技術者が述べたそうです(松本徳久 我が国フィルダムの設計・施工の変遷 土木学会論文集F vol65)。同時期に建設された、九頭竜ダム(電源開発)、その後に建設された岩屋ダム(水資源開発公団)、手取川ダムも同型式となっています。

堤体のり勾配(上流1:2.5、下流1:1.75)も現在の一般的なロックフィルダムよりも少し急になっています。のり勾配は中央遮水壁型の場合、ロック材の剪断強度に支配されます。御母衣ダムの建設当時(S30〜35年)河川管理施設等構造令による設計基準がまだ定められていない頃です。安定計算についても現在一般的に用いられている手法と異なります。安全率や設計震度などの基準値も多少の違いがあります。安定計算法は円形すべり面による方法ですが、スライスの両側に作用する水圧や土圧は平衡状態にあるとして無視しています。これはアメリカ開拓局など当時の世界ではよく用いられた手法のようで、Modified sliding-circle method と言われています。

施工報告資料をみると、22tダンプで運搬後、上流側は最大4m下流側は8mから投石し、下流側では投石と併行して射水処理を行っています。圧力水によって石くず土砂等を洗い流して岩石同士の接触をよくして沈下を防止するためです。水圧は5Kg/平方センチメートル以上、水量は盛り立て量の3倍以上確保しています。上流側は射水処理は実施していません。

上流面も下流面も近年のダムのようにきれいに平滑に仕上げられているのとは異なり、リップラップ材が無造作に積み上げられているようにみえます。設計図では上流面は寺勾配となっており、上部で1:2.5から1:2.0へと変わっています。波浪等によって法面のリップラップ材が崩れ落ちているのは勾配が変化する付近でしょうか。下流面は上流面のような波浪や水深の影響がないので、完成時の状況を示しているようです。

【 写真−13 御母衣ダム(上流面) 】
【 写真−13 御母衣ダム(上流面) 】

ダムの天端幅は図面で見ると12mとあります。今時のダムとは異なり天端道路にはアスファルト舗装はされておらず、照明灯もありません。実に殺風景です。堤体法面や天端道路といい、見栄えよく造ることへの配慮がなかった、と言ってよいのかどうか迷います。山田和の小説でボタ山のようなものと形容された表現に頷かざるを得ません。天端道路の入り口には車止めが設置されていました。

【 写真−14 御母衣ダム天端風景 】
【 写真−14 御母衣ダム天端風景 】

ダムの洪水吐には第1洪水吐と第2洪水吐があります。

上流側流入部は自然横越流型になっています。これは第2洪水吐と呼ばれる施設です。左岸下流側に洪水シュート部が設けられ、地山の形状に合わせて、水路もカーブを描いています。第2洪水吐の横越流部の一部に延長5m程度の起伏式ゲートが据えられ、切り欠き箇所があります。

横越流部の上流側には引き上げ式ローラゲートが設置されていて、第1洪水吐の呑口に当たる部分です。

【 写真−15 御母衣ダム洪水吐・ゲート部 】
【 写真−15 御母衣ダム洪水吐・ゲート部 】

この洪水吐構造について既往文献資料で確認してみます。第1洪水吐はトンネル式で2号仮排水路に内径10mの管路を据え付けています。第2洪水吐は越流幅100mのシュート式自然横越流型であり、非常用のものと考えられます。因みに、仮排水路は2本あり、下段が第1洪水吐、上段が取水管路に利用されています。第1、第2洪水吐の放流能力は、それぞれ2,000立方メートル/s、1,000立方メートル/sです。 利水ダムなので洪水調節は目的としていません。しかし、河川法上、利水ダムT類のダムであり、洪水調節を行い従前の機能の確保ができるように放流設備も配置されています。本格的なロックフィルダムの洪水吐施設の設計に苦心した跡が感じられます。

御母衣ダムから再び新高岡駅に向かい、北陸、東北新幹線を乗り継いで夕刻仙台へ戻りました。時折雨が降る天候でもあり、庄川筋の2つのダムの現地をじっくり見るには厳しい行程でしたが、現場のダムの雰囲気は強く感じられた旅でした。

5.おわりに

インフラツーリズムが静かなブームを呼び、その中でもダムツーリズムは熱心なダムマニアの存在などもあり各地のダムは賑わっているそうです。

小牧ダムも御母衣ダムも地域に大きな変化をもたらしたダムですが、ダム技術の面でも大きな足跡を残しています。それだけではなく、小説に描かれた物語、荘川桜、傑出した人物群、等々を辿り、感動すら覚える反面、「広報」、「語り継ぐ」という面では電力会社の取り組み姿勢に寂しいものが感じられます。

黒部ダムは関西電力自らが社運をかけて挑んで建設した華々しいダムですが、小牧ダムは戦後引き継いだ継子施設という生い立ちの違いはあるでしょう。黒部ダムについては毎年見学会を開催し、積極的に観光地化しています。一方で、小牧ダムについては歴史上の記念碑的ダムとして評価されていることに対する愛情が少ないようにも思えます。小牧ダムは昭和のはじめの時代のダム事業で、何かと因縁の多いダムです。そのような出自からか、各省庁から歴史・文化遺産として顕彰されていることに対しては淡々と紹介し、静かに置かれています。

御母衣ダムもダムツアーで観光するには道具立てや装いが寂しいように思います。ダムに関する話題は豊富ですが、人に見せるダムとしては意識して造られてはいなかったのでしょう。

課題はいろいろありますが、今回訪問をした経験から、ダムツーリズムがブームを呼んでいる時代に、この庄川の2つのダムはぜひ訪れて欲しいダムだと強く思えるのです。


(参考文献)
4.御母衣ダム
・浅尾格 御母衣ダム 発電水力No.50
・伊藤令二 御母衣ロックフィルダムI、II 発電水力No.36、37
・鴫原長六郎ほか 御母衣ロックフィルダムの施工 −建設業者の立場から−
  発電水力No.50
・福井吉三郎 御母衣ダムの安定計算 発電水力No.59
・松本徳久 我が国フィルダムの設計・施工の変遷
  土木学会論文集FVol65No.4,394-413,2009.10

記 島田 昭一

権現森自然研究会

権現森自然研究会という名前のボランティア活動団体です。私は平成26年に加入し 2年目です。会員数は20数名で平均年齢は60歳代です。女性会員も数人います、活動内容は主に権現森(仙山線落合駅〜葛岡駅間の山形方向の右側の山) 「仙台市自然休養林」「緑地環境保全地域」「杜の都緑の名所100選」 に指定されている里山の遊歩道の整備(草刈 階段設置 )枯損木の撤去 諸名な木の銘板設置,小中学校の山歩きの手伝い。会の行事として春のカタクリ観察会 夏の森林観察会 秋の紅葉観察会等一般の人を交えての行事、 会員仲間の行事としては 山菜を食らう会(タラの芽 コシアブラ シドケ アイコ オケラ 蕨 ゼンマイ ミズ 蕗) キノコ研究会(ハツタケ オリミキ アミタケ ウラベニホテイシメジ カキシメジ タマゴタケ)等が権現森にはあり食して研究してます。4半期毎の誕生会等があり楽しい集まりであります。毎週水曜日は行事があり参加して3,4時間の山歩きですが筋肉痛が2,3日残ります直ったころ次の行事になります、山の草木と昆虫との共生 有名な話ですがカタクリと蟻とウスバサイシンとヒメギフチョウ 春 カタクリが咲きヒメギフチョウが蜜を吸い受粉します、種が出来ると蟻が巣穴等に運び種を拡散します。ヒメギフチョウはウスバサイシンのみに産卵します。この4種の共生で群落が形成されます。また、植物の不思議 ハリギリ ニセアカシアは幼木、枝にはトゲがあり成木は家具材になるなど板目が綺麗な材質となる。山菜の話「山で美味いのはオケラとトトキ 里で美味いのはなすびとかぼちゃ」とある。山林には三大美芽 ネジキ コクサギ サイフリボク 三大香木 サンショウ クロモジ ミズメ 三大美肌 春椿 青桐 白樺があり サンショウは料理の薬味として食卓に上り、木はすりこ木などに利用されている。クロモジは枝を加工して割烹などの高級料亭で妻楊枝として利用されている。以上 今まで知りえた事ですが山菜料理、キノコ料理 地域よって色んな食べ方があり奥深いものと思われます。会員の皆さんは植物に詳しい人が一杯居りまして色んなことを教えてもらうことが出来ます 会長曰はく「山遊び楽しく厭きない遊び」である。

余談でありますが 子供たちと山歩きをすると草木の名前には興味がなく松 杉 も分からない、桜なども花を見れば分かる程度である。草 樹木を知る楽しみは日常の潤いを得る他 海外旅行などでフランス パリの街路樹はマロニエ(西洋トチの木)が多く秋になると街中枯葉が飛んでいます。シャンソンの枯葉が分かります、中国 満州地方を5月ごろ旅するとアカシアの花が満開です、花が散り始めると雨のように降り落ちます、歌に歌われたアカシアの雨に打たれての歌詞思い出されます。フランス ノルマンディ地方を旅したとき牧草畑の境界林 楢木と思われる樹林にヤドリギが沢山見られます。添乗員の説明ではフランスでも縁起物でクリスマスのリースなどに飾り子沢山を願うそうです。

記 名種 一酔

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